新年明けましておめでとうございます。西暦2023年(令和5年)(皇紀2683年*1)(中華民国暦112年*2)(檀紀4356年*3)(主体112年*4)(寧電暦2年*5)、今年もよろしくお願いします。萩薬師です。
多様性を認め合う昨今においては広い視点を持つことが重要だと思うので西暦にとらわれず様々な紀年法で書いておきました。
新年一発目の記事は何を書くか悩んでいたんですが、あるオタクに
・元日からオタクとデンシャした話
・小湊鐵道に行ってきた話
・去年8月に行って10月に1本目だけ書いて以降書けていない九州遠征記
のどれを書けばいいか聞いたところ九州遠征記書けよと言われたので、Re:適当九州遠征の第2回を書いていきます。残りの2本もいずれ書くかもしれません。
2023年になって1本目の記事がこれになりそうだった時にこの冒頭の文章を書いたものの、千川月報が先に出てしまったので1本目の記事では無くなってしまっていますが、まぁ月報記事を除いて1本目と言うことで…。
前回
〜前回のあらすじ〜
・今回もサイレント遠征
・九州にたどり着かずに終了
4.夜の駅に散る
前回は山陽本線の下関行きを途中で乗り捨てたところで終わりました。
ここは下関から40キロほど手前、山口県宇部市にある宇部駅。山陽本線と当駅が終点である宇部線が乗り入れています。
当駅は市名を名乗っているものの市の中心市街地からは離れており、市街地へは宇部線の宇部新川駅の方が近いです。ホームにも市街地は宇部新川駅の方にあることを案内している看板がありました。めっちゃテプラ貼られてますね。
ここから宇部線の終電に乗って宇部新川まで向かいます。車両は123系とかいう1両編成の電車でした。
ドアが前後2箇所しかないため座席は遮られるものがなく、まさに名前の通りめちゃくちゃ長いスーパーロングシート状態。
入線時はホームにすら人影が見当たらず乗客0人状態かと思ったら、発車前に来た山陽本線の電車から一気に人が乗り込みそこそこの乗車率で発車しました。
22時34分、終点の宇部新川駅に到着。あのまま下関行きに乗り続けていれば下関で小倉行きに乗り換えてちょうど今くらいの時間には九州上陸できていたらしいです。
ではなぜ僕は一気に九州まで行かずこんなところにいるのか?
宇部線の車には「宇部新川-新山口 快速 新山口」という幕があり、宇部新川の幕回しで撮ることが出来ると聞いて寄ってみたと言う訳です。なお肝心の快速幕は撮り損ねました。
言い訳すると夜間滞泊している車両の幕は基本的に翌朝乗務員が来てから回すことが多いので始発凸すれば撮れることが多いのですが、ここの場合はホーム上留置の車はどうも前日の夜のうちに翌朝の行先を設定してしまい、かつホーム上で回す場合と一度引き上げた際に回す場合があるようでどこで回すのかタイミングが掴めませんでした。乗務員次第なんでしょうか。
ちなみに宇部線はワンマン運転を実施していますが、ワンマン列車でも基本的に走行中に幕が回ります*6。常識的に考えて運転士が走行中に方向幕を操作するのは良くないのでは?????
色々文句を書き連ねたいんですけど、こんなとこで文字数を使ってもしょうがないのでこの話はこの辺にしときます。調べてもらうと分かりますが幕自体はとてもかっこいいのでいずれ撮りたいですね。本日のお宿、宇部新川駅から徒歩10分の好立地な快活CLUB宇部中央店に着弾。山陽本線の宇部駅や新山口駅周辺には快活CLUBが無い*7ので、快活泊するなら宇部新川まで来るのがいいかもしれません。
5.ゆうパック
一夜明けて再び宇部新川駅に戻ってきました。この早朝のまだ薄暗い感じの雰囲気が結構好きだったりします。
宇部新川から下関方面に抜ける場合、宇部経由の方が距離が短いんですが、新山口経由でも最終的に乗る列車は変わらないらしいので新山口行きに乗ります。
車両は昨夜乗った123系の後ろに7月から復刻されて話題になっていたゆうパック塗装こと広島色の105系がくっついていました。個人的には昔図鑑で見た可部線の車両がこれだったイメージがあります。
適当に車内でちょっとだけ写真を撮影。せっかく一本しかいない復刻色編成を引き当てられたんだからもうちょい何かしら撮っておけば良かったかもなぁとブログを書きながら思いました。
宇部新川駅を発車した列車は朝日を浴びながら瀬戸内海を横目に走っていきます。
途中床波駅と阿知須駅では交換待ちでしばらく止まっていたので軽く駅舎を撮ったりしてました。阿知須駅みたいな割とよくありそうだけど素朴な感じの駅舎が個人的に結構好みなんですよね。
そうこうする間に終点の新山口駅に。ここでゆうパック側の写真を撮れるかなと思ってたらちょうど面に通路の影がかかっててキレてましたが、発車するタイミングを狙ってどうにか撮れました。電車博士ガチ勢の皆様からしたら鼻で笑われるレベルの写真ですけど、まぁあくまでついでですし撮ってないよかマシということで…。
ふと発車標を見てみれば「トワイライトエクスプレス」の文字が。
あの?!憧れの?!トワイライトエクスプレスが?!見れるんですか?!
誰お前?
なんかよくわかんないのがいましたがまぁいいでしょう。いい感じに2本並んでいた415系に乗り九州へと突入します。
下関を出ると左手にはクレーンなどが立ち並んでていかにも港町って雰囲気のいい感じな車窓が。前回の九州上陸時は下関の時点で既に夜だったので新鮮味がありますね。
関門トンネルを抜けようやっと九州に上陸しました。ここまで長かったですね…。*8
6.最初で最後の電車旅
九州まで上陸出来ればあとはもうあっという間です。小倉から*9一瞬で博多に着きました。もう目の前に止まっていますが早速今回のお目当てを撮りましょう。
観光特急、36ぷらす3の長崎行きです。5日間かけて九州7県を反時計回りに巡るコース設定の列車となっており、うち金曜日は"金の路"として博多〜長崎間を往復していたのですが、西九州新幹線開業に伴う長崎本線の一部電化廃止により現在は長崎駅への乗り入れを終了し、佐世保駅へ乗り入れています。
今回の出発時に一度出かけて帰宅してから即再出庫というハードスケジュールになっていたのは、この見納めとなった長崎行きの表示を撮れるのが金曜日のみでそれに合わせたためだったりします。最初はどうせ行くんだったらついでに撮っておくか程度に考えていましたが、実際に見てみると中々いい感じの表示で無理してでも撮ってよかったです。他にも曜日ごとに鹿児島中央・宮崎・別府・博多行きの表示が見られるので、いずれは新たに誕生した佐世保行きも含め全種類の表示を撮りたいですね。
鹿児島本線を南下して佐賀県は鳥栖駅に来ました。この駅舎は明治時代の1903年に完成したものなんだとか。個人的に結構好みの駅舎で一度見てみたかったんですよね。
新幹線開業後も電車が来なくなるだけで廃線になる訳ではないですが、せっかくここまで来たので普通電車に揺られて長崎まで行ってみます。側面表示が劣化しまくってるのは仕様です。
鳥栖から4駅進んだところにあるのが吉野ヶ里公園駅。小学校の歴史の教科書に出てきた弥生時代の集落跡を残す吉野ヶ里遺跡があるのがここだったりします。
鳥栖から1時間ほどで肥前山口駅に着きました。この駅は長崎方面に向かう長崎本線と佐世保方面に向かう佐世保線の分岐駅で、改正と同時に駅名を変更し現在は「江北駅」となっています。
ホーム横の留置線には改正で定期運行を終了した415系の鋼製車が停まっており、長崎行きの電車、江北駅に改称された「肥前山口」と改正で消えるものを詰め合わせた感じの写真が撮れました。
肥前山口駅からは複線だった線路は単線となり、途中交換待ちをしながら進んでいきます。この区間は肥前山口、肥前白石、肥前竜王、肥前鹿島、肥前浜、肥前七浦、肥前飯田と7駅連続で駅名に「肥前」がついていました。肥前山口駅の改称により現在は6駅連続となっていますが、それでも中々インパクトがありますね。
途中肥前浜あたりで博多駅で見送った36ぷらす3に追いついちゃいました。確かここで長時間停車するダイヤだったような気がします。写真を見ればわかると思いますがこの乗車電、ガラスがめちゃくちゃ水垢まみれで汚かったです。
肥前ラッシュゾーンの終端、肥前飯田駅から車窓に海が見えてきました。写りが悪いのは窓が水垢だらけでめちゃくちゃ汚いからです。
肥前大浦駅で交換待ちのためしばらく停車していたので軽く一枚。何気ない風景ですがこういう感じの駅のホームの様子を撮った写真が結構個人的に好きなんですよね。
しばらく有明海が目の前に広がる様子が見られました。奥に見える陸地は多分島原半島だと思います。
ウトウトしている間に列車は海沿いを離れ諫早を過ぎて長崎の市街地へ突入。長崎市内に路線網を張り巡らせている路面電車、長崎電気軌道と並行しながら走っていきます。
上記の写真に写っている長崎市電*10の線路は左にカーブし長崎西洋館の下をくぐり抜けていく線形で、日本で現存する路面電車では唯一ともされるトンネル区間なんだとか。
7.西果ての終着駅
鳥栖から普通電車に揺られること3時間半弱、終点の長崎駅に到着しました。現在のホームは2020年に高架化されたものだそうで、まだまだ真新しい感じがしますね。ちょうどホームに885系が止まっていたので軽く一枚。ちんたらブログを書いている間に西九州新幹線の開業で特急かもめは廃止され、肥前浜〜長崎間では架線撤去が進んでいるそうで、この風景もすっかり過去のものになってしまいました。
この当時は新幹線開業を1ヶ月後に控えて、既に駅構内の看板には「西九州新幹線のりば」の文字が出ていたりと準備万端な感じでした。
既に時刻は16時前になっていましたが、ここまで昼飯を食べられていなかったので駅構内にあった店でうどんを食べました。おいしかったです。駅前の歩道橋からちょっとだけ市電を撮影。本当にちょっとだけでしたが、次から次へと色々な車両がやってきて面白かったです。
あとなんか貸切電車が来たりしてました。なんだったんですかねこれ。
さて、それでは名残惜しいですが長崎を後にしようと思います。
今回長崎に滞在した時間はわずか1時間12分。やったことと言えばうどん食ってちょっと路面電車撮ったくらいです。本当はもうちょっと滞在したかったんですが、普通列車の本数が少ない関係でこれで引き返すしか無かったんですよね。
何しに来たん?と言われそうですが、まぁ個人的にはもう二度と出来ない"普通電車で特急に抜かれつつ長崎に来た"という体験をしたこと自体が重要だと思うので良かったです。長崎は色々見どころがありそうなのでまたいずれ今度はちゃんとじっくり堪能しに行きたいですね。
8.茨城からの刺客
呑気に路面電車撮ってたら時間がカツカツになってた*11ので写真はありませんが、415系の普通電車に乗り、ちょうど同電だった茨城県は常陸多賀[どこ?]からお越しの一部界隈では怪文書とバ畜でお馴染みあおいてつさんと合流して肥前山口まで向かいます。
彼はどこかの無計画鈍行耐久単振動旅程異常行先電車博士とは違い、優雅に朝の特急で長崎に来てしっかり一日長崎を観光していたようです。彼のブログもぜひ併せて読みましょう。と言うか以下彼のブログ内での記述を引っ張ってきたりしてるので先に読んだ方がいいと思います。
余談ですが彼のブログではこの日の朝、僕がサイレントで九州上陸していたのをCO*12したところ、彼が「長崎来いよ?」と言ったら本当に長崎に来たような感じになってましたが、実際のところはそれ以前から長崎に行くつもりではあったんですよね。何なら彼は朝の時点で既に特急で長崎に着いていたので、途中どこかしらですれ違うかどうかくらいだと思ってました。
現川駅で下り区間快速待ち合わせと上り特急の通過待ちのためしばらく停車します。長崎からわずか2駅先の駅ですが、山の中の小さい集落のような場所に位置しており結構のどかな感じでした。
東諫早駅で再び待ち合わせのため数分停車。この時間帯は特急が毎時2本あるそうで往路以上に退避が多かったです。
写真を撮るためああでもないこうでもないとホームで多動する不審者になっていたら車掌が検札に来襲し、危うくオタクキモスギ罪で投獄されかけました。
この車掌、検札ガチ勢だったのかここ以降ほぼ各駅を出る度に車内を巡回して乗り込んできた客の切符を確認してました。最近は検札を受ける機会もほぼ無かったのでちょっと新鮮な感覚でしたね。
787系のかもめと列車交換。というかこの駅でも上り特急に抜かれました。え?何本目?3並びはなんかうまくいかなかったのでやってすらないですが相方は頑張って撮っていたので多分現像していると思います。
触れる旅 再開する旅【2022/8/19-24 九州旅行記後編】 - あおいうみ
なんか撮ってたような記憶はあるんですが、データすら残ってないので多分消したんだと思います。なんなら上の駅名標と絡めたカットも現像こそしたものの、あんまり気に入ってないのでFlickrに投稿せずに適当にDM圧縮して直投げ*13してたり。
ホームから有明海が望めることで有名な小長井駅。今回はここでの退避はなかったので秒で発車していきましたが、またいずれ長崎に来る機会があれば是非訪れてみたいですね。
交換待ちがあるのは駅だけでなく駅間でも。長崎県から佐賀県に入り、往路で交換待ちで停車した肥前大浦駅と多良駅の間にある里信号場でも特急列車の待ち合わせのため停車していました。
ここ里信号場の前後は入江に沿うように大きくカーブして線路が引かれており、交換待ちの間に有明海を望むことが出来ました。電柱やら電線やらでちょっとゴチャついてますがこれはこれで味があっていいんじゃないでしょうか。
肥前飯田駅でもう何度目かわからない交換待ちの停車。ブログを読んでいる方々にはまた交換待ちかよもういいよと思われてそうですが、実際に乗っている分には交換待ちの時間でちょっと車外に出て写真が撮れたりしていい気分転換になるので、ただ単調に退避もなく走り続けるより個人的にはありがたかったりします。
ちなみにここであおいてつさんが下り特急の写真を撮ろうとしたら僕が構図に入って爆死してました。普通によくないですね。ごめん。
改正で見られなくなった「肥前山口」幕。幕回し狙えば見れるだろというツッコミは受け付けておりません。
余談ですがこの写真を何駅で撮ったのか忘れてしまい、既に改正でこの列車も消滅していたので時刻表で確認することも出来ない状態に陥ったりしてました。あおいてつさんのブログを読み返して記憶と照らし合わせた感じだと多分肥前鹿島だったらしいです。
19時3分、日も沈んであたりも暗くなってきた頃に終点の肥前山口駅に到着。
ここからあおいてつさんは後続の特急に乗って博多に出ると言うことで再び孤独な限界鈍行旅となります。
そして次にカメラロールに残っていた写真は北九州モノレールの小倉駅。駅ビル内の吹き抜け構造となっているコンコースに直接突っ込んでいる大胆な構造です。
既に夜で撮るものも無かったのか肥前山口から小倉までの写真は一切残ってませんでした。唯一残っているのは博多から小倉までの鹿児島線が快速が無く普通列車を使う羽目になりクソほどかったるかった記憶くらいです。まぁ特に面白みのないところで文字数を使っても仕方ないですし、北九州モノレールを見習って大胆に消し飛ばしたと言うことで(?)
小倉駅前の快活に転がり込んでこの日は終了。まるで4ヶ月くらいかかったように感じる長い1日でしたね。
あとがき
遅いよ。
気付けば#1を書いてから4か月、九州に行ってからはなんと6か月ととんでもない日数が経ってしまいました。最近は行先撮ったりオタクと通話したりオタクとガーリックフォーンしたりオタクとジオゲッサーしたりオタクとみんはやしたりオタクと大富豪オンラインしたりオタクとじゃんたましたりと忙しかったんですよね…。
ちなみにRe:適当九州遠征記は次回で完結予定です。色々書き溜めてる遠征記もこの調子で一気に書けていけたらなと思っています。
最後にモチベ低迷中の中で九州遠征記とっとと書けよと激励してくれたオタクへの感謝をもって締めさせて頂きます。今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
次回、Re:適当九州遠征#3「九州ってなんだっけ」お楽しみに!